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道守随想

【vol.12】 家族へ 語り伝える道

新井英一(ブルースシンガー)

家族へ 語り伝える道

俺にとって一番の道は「清河への道」だが、原点の道は生まれ育った吉塚にある。家から小、中学校までの道。正直、いい思い出はない。おふくろが盗品売買に巻き込まれ、刑務所に入れられた1年間は、とくに遠くてきつい道だった。

吉塚では知られた不良だった。「おばさん、もらうばい」。市場で売り物をかっぱらって追いかけられたことも、一度や二度ではない。もちろん、最後はおふくろや先生、お巡りさんにこっぴどく叱られた。吉塚にあった映画館で見た小林旭さんや石原裕次郎さんの歌を、ひとり口ずさむことで、心が慰められた。

15歳で家出。歌手になる夢があった。「行ったらどうにかなる、俺はやるんだ」。初めての街には知らなかった世界があり、鼻っ柱をへし折られた気がした。危ない目にもあったが、前へ進む恐怖はなかった。

もっと外の国を見たくなり、21歳で米国へ船で渡航。ロス〜サンフランシスコ〜ニューヨークへ。異国の道を歩いた。レストランの皿洗い、バーテンダー、建設作業員・・・。どうにかなった。どろどろとした人間ばかりのエイス・ストリートも、自分の庭だと感じられるようになった。よくアパートの屋上で母を想い、歌を口ずさんだ。このまま、どっぷり染まるのか。そんな妥協はできず、再び歌手をめざした。

歌うために、東京の街を回った。29歳でデビュー。しかし「何かが違う」。不安定な生活の中で、親父のことを考えた。36歳で初めて父の国である韓国・清河へ行った。吉塚の道。東京の道。ニューヨークの道。そして韓国の道。

清河から帰る汽車の中で、親父のこと、おふくろのこと、これまでの人生が走馬灯のように駆けめぐった。歌で生きる、この清河への旅はいつか歌にする、と心に決めた。

40歳でやっと親父と自分のルーツを歌った「清河への道」ができた。45歳でCDを出して、52歳で初めて韓国・清河で歌った。「清河への道」は希望の歌だった。

おふくろが24年前に亡くなって、福岡はただの生まれ育った場所になった。親父の故郷・清河も、俺の故郷ではないと分かった。俺の故郷は、女房と子どもが待つ場所だ。家族がいたから、救われた。家族が国だ。

「俺と親父の道を、子や孫へ語り伝えたい」という想いは、変わることがない。ありがたいことに自分は歌手として、確認しながら歌い続けることができる。聴いてくれた人が故郷の道を想い、愛することにつながればうれしい。



新井英一プロフィール
1950年福岡市博多区吉塚生まれ育ち、朝鮮半島の血を引く自らをコリアン・ジャパニーズと呼ぶ。1979年にデビュー。自らのルーツと半生を歌った「清河への道〜48番」を95年に発表。日本レコード大賞「アルバム大賞」を受賞するなど大きな話題を呼ぶ。

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