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道守随想

【vol.11】 万芸から生まれた、私の道。

神田紅

万芸から生まれた、私の道。 神田紅

小学校5年まで、箱崎の坂本町(福岡市東区)に住んでいた。学校が終わっても教室に隠れて遊ぶタイプだったから、帰りは真っ暗で友達と別れると最後はひとり。木材工場や醤油工場の側を通り、寂しい松林の脇道はすごく怖かった。歌いながら、スキップしながら、飽きたらいろんな物語を想像した。でも怖い話を考えてもっと怖くなった。

筥崎宮参道の「放生会」の見せ物小屋や幽霊屋敷が大好きで、怪談話を友達に聞かせるのも得意だった。ついたあだ名は「幽霊少女」。江戸川乱歩を愛読し自作の「ピアノ殺人事件」「赤いちり紙、白いちり紙」が持ちネタだった。このあたりが私の講談師としての原点だろう。それにしても大変な道を選んだものだ。シュバイツァーにあこがれ医者を志望。その前は科学者や宇宙に憧れた。小さいときの願いは続ければ叶うもので、今は講談師の傍ら、(財)日本宇宙フォーラムの理事でもある。

三輪明宏さんの「何倍もの人生を生きていきたいから、私は役者」という言葉に感銘を受け、東京で演劇をしようと早稲田大へ、文学座へ。でも残れなくて挫折。捨てる神あれば拾う神ありで、一流プロダクションから女優デビュー。市原悦子さんの付き人になったが、やっぱり自分の道を探さなきゃと、神田山陽師匠に弟子入りし講談の道へ。昭和54年に寄席デビュー。最初はロックバンドを連れてきたり、歌ったり踊ったり。あんなものは講談ではないとさんざん叩かれた。でも師匠は「万芸一芸を生ず、を実践してくれる弟子が紅だ」と。

柳原白蓮、貞奴、松井須磨子、杉村春子、ターキー一代、マリリン・モンロー、ヘップバーン…。これまで100人以上を語ったことになるが、こだわりが強く、その人に共感できないとやりたくない。

九州の道守の話を聞き、ある講談を思い出した。神田の炭屋に奉公する塩原太助が、湯島の道が雨でぬかるんで難儀していると、稼いだ金十両を道普請に充てる。それを知った主人は「神田の人間が、何で湯島の道のために…」と怒るが、「神田の者が湯島の道を通ることもあるし、湯島の者が神田の道を通ることもある。湯島の道をきれいにすることは神田の道をきれいにすることと同じだ」という太助に、ほとほと感心する。

世のため人のため、ひいては社会のため、日本のため、世界のため、地球のため、宇宙のため。理想を持って生きると、今ある自分がもっと活かされる気がする。男でも女でもない本物の人間を求める時代になったが、もともと女性初、女だてらに…という言葉に生き甲斐を感じるような性格。これからも伝統芸を通じて、自分のやりたいことを精一杯やろうと思っている。



神田紅プロフィール
福岡県生まれ。修猷館高校卒業、早稲田大学中退。文学座研究生を経て女優の道へ。1979年故二代目神田山陽師に入門。89年真打に昇進。90年落語芸術協会会員となる。明るく、楽しく、解りやすい芸風で、テレビ、ラジオ、映画、エッセーと幅広く活躍。今年6月、国際ソロプチミスト福岡「女性栄誉賞」受賞。

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