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道守随想

【vol.10】 農作業の道、フランス料理の道 食の大切さ知った

上柿元 勝(ハウステンボスホテルズ名誉総料理長)

農作業の道、フランス料理の道 食の大切さ知った 上柿元 勝

道の記憶は「農作業の道」です。鹿児島県松元町の農家で6人兄弟の4番目の私は、農作業を手伝うのが日課でした。田植え、草刈、何でもしました。子供は貴重な労働力で、農繁期は学校も休み。中学で野球部に入りましたが、家の手伝いから逃れることはできません。しかし、そこには四季折々のおいしいものを使って母親が料理を作ってくれる確かな「食育」がありました。

高校を卒業し、大阪に向かう夜行列車の中では「故郷に錦を飾る」ことを考えていましたね。食品会社に就職したものの、自分が何をしたいのか分からない。夜間大学に通う途中、電車でふと目にした調理学校のポスター。シェフの真っ白い制服にひかれたんですよ。フランス留学の文字も魅力でした。このポスターが私の人生を変えたのです。調理学校に入る資金を稼ぐため会社も学校もやめ、鹿児島で県道や市道の舗装工事もしたんですよ。

1974年、24歳の秋にフランス料理を極めようと渡仏。周囲はみな反対でしたが、父は「男が決めた以上、負け犬にならずに帰って来い」と…。現実は厳しかったです。仕事もなく、お金も底をつき、栄養失調になりながら仕事を探し回りました。そんな私を救ってくれたのが20数店目に訪れた「ル・デュック」のオーナー。その店にわが故郷、薩摩焼の壷が飾ってあったのが縁でした。一生懸命に働いたのが認められ、26歳で店のシェフを任されました。その後、当時フランス料理界の最高峰アラン・シャペルの店に面接に行き、三回目で合格。嬉しさのあまりローヌ川のほとりを2時間以上かけて、歩いて帰ったのを覚えています。

1991年、ハウステンボスオープン時に総料理長になったのは、神近社長(当時)の「美しい地球を子供に残そう」という考えに心打たれたからです。「自然と人間は共存していかねばならない」。みなさんの道守運動にも通じる考えでしょう。

九州は食材の宝庫です。私の歩んだ道はフランス料理ですが、今は時間の許す限り地域の皆さんに食の大切さを伝えていきたいと活動しています。



上柿元 勝プロフィール
1950年鹿児島生まれ。20歳で料理人を志し、1974年渡仏。パリのレストラン「ル・デュック」、「ジャマン」、リヨンの「アラン・シャペル」、ヴァランスの「ピック」、ロワンヌの「トロワグロ」で修業後、神戸「アラン・シャペル」の総料理長を務める。91年ハウステンボスホテルズ総料理長。03年、フランス共和国農事功労章シュヴァリエ受章。天皇皇后両陛下をはじめ、モナコ国王、オランダ王子など数多くの晩餐を担当する。

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