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道守随想

【vol.8】 わが歌 この道を生きる

内山田 洋

 

 故郷を散策した。掘割沿いの道はきれいに整備され、文学碑や歌碑、木々の紅葉が印象的だった。柳川は道を大切にする運動に熱心と聞く。わが母校伝習館高校もこの活動に取り組んでいると聞き誇りに思うし、なにより美しい柳川がここにあることがうれしい。内山田洋

 実家は柳川市宮永町、この辺りは昔の面影も残っており、子供のころに遊んだ道が今見るとこんなに狭かったのかと驚く。やんちゃな少年時代の思い出は、ベーゴマ遊びと、喧嘩。教育一家に生まれたわたしの本名は「内山田道生」という。当時はこの名前が嫌いだった。「みっちゃん道々糞たれた!」と囃し立てられ、なぜ親はこんな名前をつけたのかと恨みもした。しかし今振り返れば、道生(みちお)という名前が人生の節目にわたしを救うことになる。

 家庭の事情で大学一年で中退、すさんだ生活を送るなか、音楽の道を志すと決断したのも「自分の信じる道を生きる」という自分の名前に立ち返ることができたからだ。内山田洋

 二十一歳、白木原の米軍キャンプを中心に活動していたバンド「メディコキューバンボーイズ」のギターリストとしてスタート、三十歳の時、内山田洋とクールファイブを結成した。昭和44年のデビュー曲「長崎は今日も雨だった」が大ヒット、五ヵ月間で一00万枚を売り上げ、この年レコード大賞新人賞を獲得、NHK紅白歌合戦にも出場できた。生活は一変し今考えると夢のような日々が続いた。自身が作曲した「東京砂漠」もヒットした。数々のヒット曲を世に送り出したクールファイブだが、結成から二十年後の昭和六十二年に前川清が独立し大きな転機を迎えた。彼は四十歳を迎え、自分の道を進みたかったと思う。音楽に妥協はない。わたしも妥協した生活は送りたくなかったので彼の独立を祝福した。

 今は自分が信じる音楽の道を進むだけ。健康の許すかぎりステージマンとして歌い続けていきたい。

内山田 洋プロフィール
歌手。昭和11年福岡県柳川市生まれ。昭和42年長崎で「内山田洋とクールファイブ」を結成。昭和44年のデビュー曲「長崎は今日も雨だった」が大ヒット。同年の日本レコード大賞新人賞受賞。以後「噂の女」「そして神戸」「東京砂漠」などヒット曲を連発、NHK紅白11回出場を果たし、20年間第一線で活躍した。現在も歌手として舞台で歌い続けている。

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