新しい道へ・新生ホークスの二軍監督になって初めての開幕が迫った。私の挑戦心は「道」という言葉や「道を開く」そんな思いと重なる。「プロ選手は自らの道を切り開くしかない」という現役時代の実感と、子どもころの思い出・自分でつくった道のことが頭に浮かぶ。
熊本・八代の家は田舎だった。カブトムシを採りに山によく行った。たくさん採りたいから誰も知らない場所を探す。たくさんいる場所へは何度も通う。誰にも教えられない自分だけの道。自分の道をつくった、そんな思い出が残っている。
そのころ、国道3号は砂利道だった。家の周囲は田んぼ道。学校に行く前、毎日2、3キロ走った。私を少年野球チームに入れた母が与えた日課だった。練習の面もあったかもしれないが、それ以上に母は私を鍛えたかった、強くしたかったようだ。子ども、つまり私の兄を幼くして亡くしていたから。
八代高校へは片道40分、自転車で通学した。途中の千丁町は藺草(いぐさ)の名産地。さえぎるもののない藺草田の道をひたすらペダルをこいだ。向かい風、夏の日差し、合羽で走る雨の日の蒸し暑さ…。つらかった。それが野球選手となる土台をつくったのかもしれない。
いろんな幸運や支援があってプロ野球の選手になった。だれも同じだが、プロになってからは自分の力しかない。自分で道を切り開くしかない。プロになってからもよく走った。自主トレでしばしば訪れた伊豆の川沿いの道やグアムの公園周回路をひたすら走り続けた。私にとって道は「歩く」より「走る」「自転車で走る」、そんな印象が強い。
人にはいろいろ道が用意され、必ず岐路がおとずれる。自らの判断で進むしかない。私は二軍監督という新たな道を走り始めた。一から勉強し今度は「秋山幸二」という指導者をつくりあげていきたい。若い選手の道案内や支援が仕事。私の母や八代の田舎道・自転車道の役目だと思う。
道を守る・道守のことは初めて聞いた。西戸崎のホークス合宿所の寮生約20人が寮周辺の道などを清掃したのも道守活動でしょう。場所や舞台は違っても一緒にがんばりましょう。
秋山幸二プロフィール
福岡ソフトバンクホークス二軍監督。1962年熊本県生まれ。81年西武ライオンズに入団、94年から02年までダイエーホークスで活躍。本塁打王・盗塁王各1回、最多勝利打点2回、ベストナイン8回、ゴールデングラブ賞11回など受賞。通算2000試合出場と2000本安打を達成した。引退後2年間の野球評論家。