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道守随想

【vol.2】 道草が楽しい

河野 裕子

河野裕子 道を歩いていて何より楽しいのは道草をすること。あ、こんな所に竹垣があって、たけのこまで生えているなんてこともあれば、れんげ草が畑の畦に咲いていたりして、子供の頃のれんげ摘みを思いだしてなつかしくなる。
 目的のないぶらぶら歩きの道草のよろこびは小さな発見にあるのだろう。
     よく見れば薺花さく垣根かな
という俳句が松尾芭蕉にあるが、この句ができたとき芭蕉は道草をしていたにちがいない。道草をしていると、ふだん何気なく見すごしていることに、ふと気づくことがある。薺はペンペン草ともよばれ雑草のたぐいの草なのだが、芭蕉はこのとき、薺の可愛さつつましさを発見したのだろう。
 道草といえば、忘れられない思い出がある。
 息子が小学校三年生だったころ、わたしは息子が学校から帰ってくるのが毎日たのしみだった。八歳の子供ほどおもしろいものはない。毎日何かおみやげ話を持って帰ってくる。子供時代をもう一度やりなおしているようで、その頃のわたしは人生が二度も楽しめると思っていた。
 その日も門の所にたって息子が帰ってくるのを見ていると、小路に入ったままなかなか出てこない。当時のわたしの家は、幾節もの小路が等間隔についていたる所にあった。小路から通りに出てきた息子はまた次ぎの小路に入りこむ。いったい何をしているのだろう。これを何回か繰りかえしてやっと帰ってきたのをみると、手に色々な色のチョークを持って、家の門に→(矢印)を描いている。あんた何してきたのと言うと、道やら木やら石ころやらにいっぱい→を描いてきたという。
 これはおもしろい。わたしは息子が描いた→を逆に辿って歩いてみることにした。→はどこにもあった。電信柱、堀、溝、道の端っこ、おおばこの葉っぱ、木切れ、家の壁などなど目につく限りのところに、チョークの→が黄いろや緑でついている。息子がなぜここで立ちどまったか、何を考えて色を変えたか、描く高さを工夫したのか、わたしなりに推測してどんどん歩いていく。どこまでこの→はつづくのか。子供時代の探検のワクワク感がいきいきと甦ってくる。
 →はとうとう小学校の校門に続き、校門をくぐって校庭にでた。ははあ、淳はここから→を始めたのかと思って更にすすむと、校庭の桜の木の下の根っこからチョークの→は始まっていた。八歳の淳はチョークで家までの道々にしるしをつけて帰ってきたのだ。寄り道をすることは楽しい。おとなになっても。子供の頃はなおさら。

河野裕子プロフィール
1946年熊本生まれ。高校時代「コスモス短歌会」入会。京都女子大学在学中に第15回角川短歌賞受賞。1972年、第1歌集「森のやうに獣のやうに」。1988年「塔」選者。NHK学園などの選者。

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