私にとって特別な道・やまなみハイウェイが開通したのは昭和39年10月、東京五輪が開かれ、新幹線が走り始めた時期と重なる。
子どものころ、家族でドライブ&ピクニックに行った。数度しか行けなかったのかもしれないが、「やまなみ」の場面は鮮明。次々に違う表情を見せる。高原の雄大さ、美しさ
─ そう、子どもの目にも舞台を見るようだった。
幕間、草原にゴザを敷き、家族みんなで囲んで食べたお弁当、そのおいしさ。帰り道、また違う表情をみせる。遠くの由布岳が少しずつ近づく。麓にはわが家。そんな安心感だった。「やまなみ」の風景は、私の心に美しさと温もりを残している。
「やまなみ」がもう一度「特別な道」になったのは運転を始めてからのこと。友だちがわが家を訪ねてくると決まって「やまなみ」ドライブに出かけた。季節ごとに風景がダイナミックに変化する。全国の名ドライブコースに比べて比類ない。ススキで銀色に輝く「やまなみ」が私は好き
─ そんなガイドを友にしながら。
このルートの美しさを川端康成は小説「千羽鶴」でこう記している。
「ほんとうに美しい夢の国がここに浮かんだような高原でした」
「この飯田高原は多くの人も言うように、ほんとうにロマンチックななつかしさです。やわらかくて、明るくて、そしてはるばるという思いをさせながら、静かに内へ抱きつつまれたという思いをさせます」
与謝野鉄幹・晶子も歌を詠んだ。
「大いなる師にちかづくと似たるかな
久住の山にひかるる心」 (鉄幹)
「久住山阿蘇のさかひをする谷の
外は襞さえ無き裾野かな」(晶子)
何かあればすぐ車を向けた「やまなみ」、人を案内し、自慢した。が、最近はご無沙汰ぎみ。思い出を記すと「時間を作って出かけよう」と思いが募る。
[やまなみハイウエイ]
正式名称は九州横断別府阿蘇道路。大分県湯布院町水分峠から熊本県一の宮町まで約50km。阿蘇くじゅう国立公園を走る高原道路。
【プロフィール】
1964年湯布院町に生まれ。1987年清泉女子大学文学部卒業。玉の湯代表取締役社長。由布院温泉観光協会専務理事。ゆふいんfamily主宰。大分経済同友会常任幹事。おおいたの道構想21懇談会、観光立国推進戦略会議(内閣府)、中央環境審議会自然環境部会温泉小委員会(環境省)などの各委員。