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交響の道を行く 新街道風景

【vol.15】 「山は阿蘇、道はやまなみ、湯は別府」 九州横断道路の夢 風景と人の交響、今も

 山々重なる九州山地横断の夢、その現代版ともいえる「やまなみハイウェイ」。観光道路だが、いま新しい動きの舞台。「山は阿蘇、道はやまなみ、湯は別府」―先人に倣うスローガンは分かりやすく、志は高い。

バスガイドと油屋熊八

●バスガイドと油屋熊八

風雲児・油屋熊八が育てた 九州の玄関
 やまなみハイウェイの誕生は、高度成長とモータリゼーション胎動期の昭和39年。世界最大級のカルデラ・阿蘇と、日本一の湧出量・源泉数を誇る別府温泉とを結ぶ。長さ約50km。別府から由布岳裾野、飯田高原、九重の山々、川端康成の小説「波千鳥」など阿蘇へ続く高原道路は見所と自然に溢れ、新しい人出でにぎわった。
 道の歴史からいえば、加藤清正の豊後街道に次ぐ九州山地横断道。豊後街道が江戸へ向う最速コースだったのに対し、やまなみハイウェイは観光と地域浮揚を願う夢を担った。
 別府・阿蘇横断道路構想を最初に打ち出したのは風雲児・油屋熊八。熊八は伊予の人。大阪堂島相場で巨財を成し、失い、アメリカへ。別府に来たのは明治末。キリスト教徒となった熊八は聖書に従い「旅人に宿を」と客室二間の亀の井旅館を始め、小さな湯治場・別府を「国際観光都市」「九州の玄関」へと育てていく。
 彼の事業は奇抜、アメリカ流でスケール大。例えば、地獄めぐり観光バスと日本初のバスガイド導入。その戦略は三つ。@寝具と食事Aホスピタリティの率先B乗り物―どれも一流。「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」を掲げ、実際に富士山頂に看板まで建てた。



由布院の原風景、横断道から誕生

昭和10年ころの金鱗湖

●昭和10年ころの金鱗湖

 豊後街道・清正公道は広道、道幅が広い。例えば、熊本城から13里(約50km)の阿蘇外輪山の麓・坂梨宿。国道57号がわずかに逸れて通ったので旧街道と町並みは往時の姿をいまに残す。優に2車線あり、道幅は約4m。
 熊八の乗り物好き・交通重視は、観光バス、関西航路拡大へとつながった。内陸版が昭和2年の「九州大国立公園実現提唱」であり、核心が別府・阿蘇横断道路。
 熊八がルート上で手掛けた事業が由布院・亀の井別荘。金鱗湖一帯6千坪を購入、国内外の要人を泊める別荘をつくり、加賀の道楽人・中谷巳次郎が運営した。これが今をときめく由布院の原風景である。
 別荘の主はいま3代目、中谷健太郎さん。元は東宝映画の助監督、雪の研究者で岩波映画社をつくった中谷宇吉郎の甥。そんな縁か「映画館のない町で映画祭」など奇想天外に由布院をプロデュースし続ける。どこか胆力や手法が熊八流。とまれ、由布院は「横断道の夢」の申し子だ。通りや路地路地は、やまなみ横断道随一のシーニックバイウェイ・見ごたえある脇道であり、観光客が日々溢れている。



多彩な先人・観光資源、そして現役たち

不夜城といわれた流川通り

●不夜城といわれた流川通り

一方、やまなみハイウェイの起点・別府は、陸路・空路交通網の発達で九州の玄関機能を失い、往時のにぎわいも消えた。取り残されたゆえに繁栄の遺産が数多く残る。かつて不夜城と言われた中心街・流川通りの松下金物店は、昭和4年に建った木造西洋建築、外壁のスクラッチタイルが美しい。店主の松下好孝さんは「時折、研究者が見学に来られるので」と店を守り続ける。

河村代表世話人

●河村代表世話人

 「地元の人も参加して驚くんですよ」と言うのは別府八湯・竹瓦倶楽部の代表世話人、元郵便局長の河村建一さん。竹瓦界隈路地裏散歩をボランティアで始めて8年目。ポスターやパンフレット、各種提案書は私財で手作りした。「まず住民が先頭に」と別府と縁深い大阪や阿蘇・一の宮の人々と交流しながら新しい別府を探る。ポスターの言葉は「山は阿蘇、道はやまなみ、湯は別府」―温故知新、熊八流と横断道の夢が息づいている。

不夜城といわれた流川通り

●水流も四方に伸びる瀬の本高原

 やまなみ横断道の県境辺り、熊本県南小国町瀬の本は道も水流も四方に伸びる交差点。北に下れば黒川温泉、南は久住を経て豊後街道、竹田へ。平成6年、やまなみ道が無料化されると車とごみが増え、観光業者組織が清掃ボランティアに取り組んでいる。メンバーで、自家野菜の料理を出す「八菜家」主人・井農夫弥さんは「地産地消で農業を守りたいし観光客も楽しんでほしい。人の行き来でそれが可能」という。
 やまなみ道を脇に入れば多くの温泉や登山口、秋になってもキャンピングカーが集う。最近のヒットは九重”夢“大吊り橋。沿道の風景・自然・歴史・文化を楽しもう、沿線住民と来訪者が一緒に―と、日本風景街道の指定に向け人々が動く。晩年を別府で過ごした大冒険家、大谷光瑞(浄土真宗本願寺派22世宗主)は昭和22年、「別府観光都市建設私案」も残している。いわく、阿蘇と結べ、人々が道普請を、と。別府と阿蘇を結ぶ風景街道は多くの先人たちにも恵まれている。

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