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トピックス > 街道をゆく > 奄美大島 ヤコウガイ(夜光貝)と島の道

街道をゆく

【vol.12】 奄美大島 ヤコウガイ(夜光貝)と島の道

上空からの奄美大島
上空からの奄美大島

 宝池の中島に浮かぶ極楽浄土の宮殿。京都・宇治市の平等院鳳凰堂は夜光貝の螺鈿で飾られ、平安時代末期、藤原時代の華やかさをいまに伝える。奄美大島には夜光貝の大量出土遺跡がある。名瀬市や笠利町の遺跡は夜光貝の集積地で、ここから運ばれた。

島を代表する景勝地・あやまる岬
島を代表する景勝地
 あやまる岬

 南の島から、海の道を渡り、はるか、京に運ばれ、都人に珍重された。夜光貝だけではない。もっと古く、卑弥呼の時代。ゴボウラ貝で作った貝輪は、王たる者の象徴であった。奄美群島は、古代から中世にかけての千年、宝の島々だったのである。

 「素敵、見て」。女性の声が耳に届いた。飛行機が下降し始め、雲を抜けると、奄美の海がコバルトブルーに広がる。見つめていると、美しい貝を載せた小船が、黒潮に乗って、日本列島を北上する光景が波間に浮かんできた。南の貝の、幻想。夜光貝は、都をさらにさかのぼり、遠く平泉中尊寺、金色堂の螺鈿に使われている。京の藤原氏、奥州・藤原3代、歴代の権力者たちは、この南の島に憧憬の思いを持っていたに違いない。

コバルトブルーの海が広がる
コバルトブルーの海が広がる

 奄美群島は「島の道」と呼ばれる。遣唐使船の南の公道だった。この島の道を通って、多くの大陸文化が伝わった。幾度もの遭難で視力を失った鑑真和上もその一人。

 そして現代。本土から、南に下る人も。田中一村。古代人と同じ憧れを持って、この島に住み着いた画家。奄美の自然に心を奪われ、紬の染色で、かつかつの暮らしをたて、絵筆を握り続けた。その独特の色調と構成を「正道であるとも、邪道であるともなんと批評されても、私は満足だ」と彼は言い切った。「見せるために描いたのではないから」。奄美の自然の力、そこに住む神々、一種、アミニズムを感じさせる。

ソテツが群生する「宝の島」
ソテツが群生する「宝の島」

 奄美は今も「宝の島」。アマミノクロウサギをはじめ、貴重な動植物が数多く、まるで、生きた博物館だ。千万年前から千五百万年前、九州が朝鮮半島と陸続きになり、琉球列島は台湾さらに大陸とつながり、いまの東シナ海は内海になっていた。多くの動植物が「陸路」で、奄美にやってきた。その後、海面が上がり、奄美は、新生代の生き証人・希少動物群を、いとおしく、いまも抱き続けている。屋久島に続いて、世界遺産になる日も近い、と思った。

藁葺きの民家や高倉がいまも残る
藁葺きの民家や
 高倉がいまも残る
奄美大島
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