シュガーロード(砂糖の道)は10年前、佐賀で生まれた。新道ではない。江戸へ砂糖と東西の菓子を運んだ長崎街道の歴史と、今に伝わる多彩な菓子文化を検証するネーミング。佐賀の道守活動の柱の一つになっている。フェスタが開かれ、観光ガイド養成のシュガーロード検定には菓子作り試験まである。現地を訪ねた。
小城駅前は羊羹通り、消費日本一を支える

小城駅前からの羊羹通り |
JR長崎本線の小城駅前から北へ2kmに羊羹店が林立している。その数、約20軒。小城市内の羊羹生産業者数はかなり減ったが、それでも23。佐賀県の羊羹消費日本一を支える。縫うように饅頭やおこしの店がある。
終点の須賀神社の麓辺りが老舗の村岡総本舗で、入母屋造りの本店隣は国の有形登録文化財の古い洋館。かつての倉庫で23年前から羊羹資料館。その隣も別の羊羹店?。
同本舗の村岡安廣社長がシュガーロードの名付け親だ。「佐賀の菓子は文明の十字路の証」と全国各地の講演や執筆に忙しい。資料館と裏手の工場で永野光教工場長と大塚隆久係長の話を聞いた。

松岡総本舗本店と羊羹資料館(右) |
長崎から羊羹機械と技術地域産業に
江戸時代、1820年の「長崎出島の図」によると蔵十数棟のうち3つが砂糖蔵。砂糖は銀と等価だった。砂糖と一緒にヨーロッパや中国の菓子が入り、江戸へ運ばれた。カステラ、丸ボーロ、金平糖、一香口、饅頭、そして羊羹。それらが肥前-長崎と佐賀の名物・名産となって今に伝わる。数は減ったが結婚式などの祝い事の伝統菓子・寿賀台もその変形だ。
中国発祥の羊羹は、江戸期の佐賀では家で作られた。明治32年、長崎から羊羹製造機と技術を譲り受けたのが村岡総本舗創業のきっかけ。「小城羊羹」と名付けた。炭鉱や鉄道など近代産業の労働現場で甘みが好まれた。小城ブランドが地域産業に発展した。
1位は軍人、3位裁判官。2位は?佐賀のあこがれの職業はかつて菓子店だった。「いずれも堅実」。戦前のキャラメル三大メーカーの森永、グリコ、新高の各創業者は佐賀出身-。
永野さんや大塚さんは、さしずめ「砂糖の道」の語り部だ。資料館1階で来訪者に試食の羊羹や抹茶を振る舞いながら説明に熱がこもる。ここでは学校帰りの地元の子どもたちも試食OK。今も漆塗り木箱に流し込んで作る伝統菓子のおいしさを知ってほしいから。
検定制度が登場、菓子作り実技試験も
漆塗りの木箱から出される羊羹 |
実は、旧長崎街道は小城を通ってはいなかった。それでも源流は長崎街道。「道は、四方に延びる。福岡に続く唐津に松原おこしや松露饅頭、山越えの道・川上峡に白玉饅頭など多彩な菓子が佐賀で生まれ育った」と語り部たち。シュガーロードは「文明の十字路」であり、長崎街道複線化の歴史と今を一言で現す。
佐賀の道守たちの活動の柱の一つにもなっている。佐賀地域づくりのNPO法人「活気会」の代表で道守佐賀会議代表の三原ユキ江さんは「ドイツのロマンチック街道のようにしたい」と夢を語る。2年前から佐賀名物菓子を集めたフェスタを開き、昨年は「シュガーロード検定」制度を設けた。検定は初級から上級までの試験があり、初級と中級には「ねりきり」を作る実技もある。
佐賀では「ブラックモンブラン」など新しいタイプの名物が今も生まれている。シュガーロードは長崎でも使われだし、佐賀との共同企画の試みもある。道は生きものだ。良い命名は、過去と未来、夢を秘めている。
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川上峡沿いにある白玉饅頭店 |
永野光教工場長 |
大塚隆久係長 |
路地調査の報告をする 活気会メンバー |