日向の道は5街道53往還
郷土史の数ほど道の名は多様

和石の里から望む薩摩街道。道は山中を走る |
「ひむか神話街道」は平成15年夏に決まった新しい広域観光ルートである。宮崎県北の高千穂町から九州山地の背を通り、日南海岸に出たあと再び山に向かい高千穂峰の麓・高原町まで14市町村を結ぶ。天孫降臨神話や海幸彦・山幸彦神話、平家落人や百済王伝説、神楽、遺跡など日本の歴史の始まりを刻むものが多い。一体、日向街道自体はどこ?起点・終点は?
日向街道を歩こうと「みやざき歴史の道を行く」の著者・徳永孝一さん(宮崎県立図書館研究員)を訪ねた。「正確には日向の街道ですね。道の名前は、薩摩街道とか目的地で呼ばれたから日向街道は宮崎にはない」と徳永さん。確かに日向街道の名称は熊本にはあり、熊本城を起点とし、県境の矢部へ向かう古道だが日向に入れば「須木往還」である。
木漏れ陽の街道。照葉樹林は光を通し風を防ぐ |
集落ぐるみで街道を歩く里
「日向の歴史は古く、道の名前は郷土史の数ほどある」「日向は分割支配の地だったから道の中心は幹線型の街道ではなく、比較的短い領内の数多くの往還でした」|徳永さんは明治初期にまとめられた大著「日向地誌」を精査し、現地を訪ね、近世日向の道は「5街道53往還だった」と結論付けた。
「日向の往還の起点は険しいのが特徴」という。その特徴を今に伝えるのが去川往還、土地の人は薩摩街道と呼ぶ。起点は山深い去川関。幕府を密使をすんなり通し薩摩藩士が密かに追尾という暗闘の道でもあった。起点の険しさは自衛手段でもあった。
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案内をする前田律夫・千鳥さん夫妻(先頭) |
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樹齢2〜300年と推定されるイヌマキ。街道の目印になる |
集落戸数40の里村・和石=宮崎市高岡町=の前田律雄さん(58)千鳥さん(55)夫妻に現地を案内してもらった。和石の人々は集落ぐるみで「薩摩街道を歩こう会」をもう10年も続けている。
街道と呼ぶにはあまりに狭い山道。昔は参勤交代も通った。「私たちも道の歴史は知らなかった。徳永先生に教わって、そんな大事な道かいと、集落の忘年会代わりに歩き始めたんです」と前田さん。確かに街道への取り付け道は険しいが、上り詰めれば後は比較的平坦な照葉樹林の尾根道。木々は風を止め、木漏れ陽が暖かい。コブ付きのイヌマキや大きなスダジイなどがあって目印になる。「樹齢は2〜300年くらい」と前田さん。営林署勤務だけに木々に詳しい。
道が生んだ言葉か「他生の縁」
道の歴史と植物の知識の出会いが「歩こう会」になって、人伝えで広がって今では毎年外から150人くらいが参加する。集落の女性陣はソバを打ち参加者をもてなす。「山郷だからお客さんがあるとうれしい。歩こう会は楽しいです」と千鳥さん。営林署に勤め、牛を10数頭飼い、小さな田も耕す夫妻。ゆったりとした説明や笑顔に心和む。袖振り合うも他生の縁という言葉は道から生まれたのだ、きっと。