
天領・長崎には城がない。街道の出発点は諏訪神社近くの奉行所と言われている。長崎奉行所跡は現在、長崎歴史文化博物館に。 |
長崎の出島に着いた海外の文化はこの道を通って江戸へ向かった。向学心あふれる江戸時代の志士らも、この道を通って長崎をめざした。鎖国の頃、世界と日本を結ぶ唯一の道でもあった長崎街道。その出発点と宿場町を訪ねた。
天領・長崎を守っていた、
「西の箱根」と呼ばれた峠。
東西の外国から伝来した文化が今も共存する長崎。町は江戸時代、幕府直轄の天領になってから昭和初期まで九州で最も大きい都市だった。しかしそれ以前は貧しく小さな漁村だったという。長崎の町の歴史に詳しい(財)ながさき地域政策研究所の理事長・脇田安大氏によると「長崎の発展は約400年前、平戸にあったポルトガル商館が移動して出島が完成した頃から始まります。鎖国はしていましたが、海外との貿易は幕府にとって大きな財源。ではなぜ小さな漁村を大事な玄関口に選んだのか?それは簡単には出入りできない土地だったから。外国人が国内へ入るのを防ぎ、出島で得た貿易の利益を独占するのに好都合だったからです」。
脇田さんも好きだという日見峠は『西の箱根』とも呼ばれる最大の難所。細く曲がりくねった坂道が延々と続く。ゾウも、ラクダも、砂糖も、シーボルトも。みんなこの峠を越えて、江戸へ向かった。歴史を拓く一歩にはいつも険しさがついてまわる。
 |
道守・長崎の活動にも携わる脇田安大さん。 |
|
矢上宿入口に遺る番所跡の石碑 |
|
矢上町自治会長の永田茂人さん。江戸時代は実家が宿を営んでいた。 |
往路最初の宿場町 矢上に残る江戸の匂い。
日見峠を越えたあたりに位置する矢上町はかつての宿場町。往路最初の宿場であり、帰路では最後の番所という重要な役割を担う町だった。今や昔の面影はほとんど残っていないが、地元では宿場町・矢上をテーマに町を活性化させようと奮起。3年前から歴史ある町の見所を訪ねて歩くウォークラリーを開催している。
「私たちが小さい頃は通りの家々の軒先にばんこという長イスが出ていて、誰彼ともなくそこへ座って話をしたり、将棋をさしたり。街道らしい光景もまだ残っていました」と、代表の永田茂人さん。永田さんの案内で訪れた矢上神社には、江戸の頃に伝わった貴重な狛犬や天井絵が残っていた。慎ましい中にも息づく確かな威厳をかみしめながら、永田さんが言う。「今は県外からこの町へ移り住んだ人たちも多く、『風情のあるいい町ですねえ』、『昔のものを壊さないでくださいね』と言ってくれる。私らは気づかなかったことですが、うれしいものです。やはり江戸の匂いが残ってるんでしょうなあ」。貴重な文化財を修復し、守り、次の世代へ手渡していこう――江戸時代が終わって138余年、矢上宿の道にまた活気がよみがえろうとしている。
|
佐嘉藩諫早領主が家臣を派遣した屋敷。1874年に改築。 |
|
|
|
矢上神社。鎌倉末期に建てられ、県内でも古い歴史を持つ神社のひとつ。 |
|