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街道をゆく

【vol.7】 唐津街道の今(福岡県・二丈町)

 ちょうど長崎街道と並行するように、現在の北九州市から玄海灘に沿って筑前博多を経由し、肥前唐津へと続いた唐津街道。かつて宿場町として栄えた二丈町・深江を訪ねた。

唐津街道が通っていた二丈町・深江地区

中津藩の標柱をはじめ数多くの史跡が残る宿場町。
 二丈町を流れる羅漢川の辺、かつて唐津街道だったという細い道に佇む。「当時はこの道沿いにきれいな松並木が続いとったはずですよ」。案内人は郷土史に詳しい古川廣和さんと、二丈町教育委員会の職員・古川秀幸さん。「ここから少し先が深江宿です」と指した方向は民家が建ち並ぶ静かな一角だ。


<左>元小中学校教諭、現在は郷土史講座の講師も務める古川廣和さん。地元の史跡を紹介したスケッチ集も発行。
<右>二丈町教育委員会文化係の古川秀幸さん。町の史跡、文化財の保存管理等に携わる。


 江戸時代、宿場町として栄えた深江は唐津領から公領を経て、中津領、対馬領と管轄の藩が移り変わる。街道から少し外れた道沿いに

唐津街道が通っていた二丈町・深江地区

は中津領の標柱が残るが、これは近くの畑から発見されたもの。「珍しいでしょう」と微笑むおふたり。先端は欠けているものの、管轄領の変遷を思えば今

ここに在ることが奇蹟のようだ。このように、深江には興味をそそる史跡が数多い。宿防灯篭もそのひとつ。江戸後期、町で頻発した大火事を防ぐために建てられたものだ。「『火』という漢字を彷彿させる街道の中央地点に『、』を打つ意味で建てたようですね。これで火事はぐんと減ったというから、不

思議なものです」。知恵かひらめきか、先人の発想に深く感心させられた。

出発してすぐ登り坂が続く


 

文化9年(1812年)、二丈町松末から福井までの海岸線を中心に描かれた『則量方案内圖』。伊能忠敬による筑前国内測量の際に作成された(福岡県立糸島高等学校・郷土博物館 収蔵)

神社から海へと続く街道で伝統ある秋の神事も開催。

 

宿防燈篭からまっすぐ東へ。深江神社に到着する。文禄2年(1593年)、太閤秀吉は名護屋在陣中に深江を訪れ、この神社で淀君懐妊の知らせを受けた。安産を祈願した秀吉は筑 前の小早川隆景に社殿の再建を命じ、鳥居(現・第二鳥居)を寄進させたという。木造の本殿は簡素だがどこか包容力を感じる。鳥居や燈篭に手を伸ば

深江神社。本殿左手奥には秀吉の茶宴跡も。本殿裏の高台からは名護屋城が見えたという。

し、古川廣和さんが言う。「若い頃は何とも思わなかったけれど、気づけばこうして記念碑などをさするようになっていた。親父たちと同じことをしているんですな」。手の温もりは郷土への想いそのものだ。
街道沿いには江戸の頃を偲ばせる屋敷も残っている。先の福岡西方沖地震で破損 した部分は現在の住人によって当時に近い状態で修復されていた。町の歴史は住民によって守られているのだ。

昭和の中頃まで造り酒屋として栄えた屋敷。当時は『丸屋』と呼ばれていた。

毎年秋、二丈町ではこの街道を舞台に400年の伝統を持つ深江神幸祭を行う。毛槍や鋏箱を担いだ行列が神輿とともに深江神社を出発し、海の仮の宮を目ざして町を練り歩く。今年の開催は10月16日、街道に宿場の活気がよみがえる一日をぜひ体感していただきたい。

毎年多くの観光客が街道を埋め尽くす深江神幸祭。練り歩く一行の姿は大名行列ともよく似ている。

 

 

 

 

 

 

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