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街道をゆく

【vol.6】 平戸街道の今(長崎県・平戸)

平戸藩が管理した平戸往還(田平〜舳ノ峰峠)、大村藩が管理した大村往還(舳ノ峰峠〜東彼杵)。
両往還を総じて平戸街道と呼ぶ。

宮本尚美さん

「この道は本当に険しい。吉田松陰の西遊日記にもその様子が描かれています」。平戸街道ネットワークの会会長・宮本尚美さんはそう語る。平戸街道ネットワークの会では街道周辺の草刈や清掃活動を行い、毎月1回、街道を歩くイベントを開催している。「ウォーキングツアーを通して街道

出発してすぐ登り坂が続く

吉田松陰腰掛石

の史実を語り伝えたい」。

向学心を胸に平戸をめざした、かの松蔭も厳しい道中に苦戦。

宮本さん自身も幾度となくこの街道を歩いてきただけに、きっと松陰の心情が分かるのだろう。と思いきや、「どうやら彼はぬかるんだ道を大量の銅銭を腰に巻きつけて歩いていたようで、疲れるはずです」。歴史には思わぬ話が隠れているからおもしろい。

 西遊日記によると萩藩の兵学家だった松陰は嘉永3年(1850年)に兵学と陽明学の研究を目的に長崎街道より平戸街道へ入り、城をめざして北上している。江迎宿で宿を探すも難航。やっとの思いで宿泊先を見つけた時は精根尽き果て、軒先の石に腰掛けて疲れを癒したという。松陰が座った腰掛石は今も江迎中央公園内に現存。町を見下ろす石のある場所に立つ。風が何とも心地いい。松陰にもこのような癒しの風が吹いたことを願いたい。


山中を尾根伝いに歩く難ルート。
江迎本陣での一泊に心潤う。

松浦家の居城 平戸城


 平戸城は島の上。藩公出張の折、城を出た藩の一行は日之浦瀬戸を船で横切り、対岸の港に到着する。島へ入る

元禄十二年松浦 壱岐守領分絵図 (松浦史料博物館蔵)

人も島を出る人も、誰もがこの港に立った。かつて平戸でイギリス商館の開館に尽力した”青い目のサムライ“三浦按針(ウイリアム・アダムス)も、この小さな港を利用していたのだろうか。

江迎本陣(長崎県指定文化財)

港のすぐ近くには『平戸街道の出発点』という看板が立っている。いきなり急な登り道だ。当時の地図を見ると、平戸街道はよほどの湿地帯や急峻な山でない限り、直線コースをたどっている。2点間をつなぐ道は直線ルートが最短距離。よって道は山深き森林の尾根を伝い、いくつもの峠を越える険しさに。少々の無理は体力と気力で乗り切る。昔の人は根性があった。 

平戸街道の出発点

藩の一行にとって城を出て最初の宿泊地は松陰も休んだ江迎だ。町の県道沿いには今も藩主専用の宿舎・江迎本陣の屋敷が江戸期のまま残されている。本陣裏山へと続く広大な庭園までもが実に見事。庭の隅から聞こえてくるのは涼やかな水琴窟の音。心潤う本陣でのひと時がどれだけ一行の慰めであったか、この地に佇むとよくわかる。

 

 

 

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