長崎街道筑前六宿のうちの二宿を結ぶ「黒崎・木屋瀬レール&ウォーク」が11月3日にあった。北九州市の副都心・旧黒崎宿跡と西南端の旧木屋瀬宿跡を歩く。かつて1日の旅程だった二宿間の移動は筑豊電鉄で(約12・6km、運賃350円は無料)という初めての試みに300人を超える人々が参加した。

600本の松が茂る曲里の松並木 |
黒崎宿。都市化が進み宿場町の面影を探すのは難しい。「曲里の松並木」─高度成長期に姿を消し、復元された若い松並木あたりから歩き出す。マップ片手に。
かつて番所が置かれた東西の構口(入り口)は石碑だけが残る。宿入り前に旅人が居ずまいを整えた「乱橋」は橋も碑文もあまりに小さく見落としそう。参勤交代の大名が宿した本陣・桜屋跡は現在マンション。建物は平成2年に解体され、保存されているが復元の計画はまだない。
JR鹿児島本線を挟んで北側に城山、黒崎城跡だ。一帯はかつて降下煤塵日本一、公害で学校が廃校になるほどだったが、いま城山は市民の散歩コース。洞海湾を見下ろすと、港町をしのばせる。
麓の黒田藩藩主専用の宿泊所・御茶屋跡側では市の城下町跡発掘調査が行われている。キリスト・マリア像の小さな古いメダルが見つかった。大名と隠れキリシタンがすぐ側に―そんな想像が楽しい。黒崎宿と長崎街道の歴史の多彩さを実感する。
百万人工業都市の副都心まで上り詰めた黒崎だが、いまはデパートの撤退や商店街の不振に苦しむ。街道筋の藤田銀天街は大きな黒崎宿絵図を掲げ、「レール&ウォーク」参加者に茶菓を振舞った。空き店舗に黒崎宿資料室も作った。道と宿、そんな黒崎の原点に戻って街おこし、スタッフのジャンバーや割烹着姿が新しい道守の姿。
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木屋瀬宿場踊り |


子供大名行列 |

町並み資料館の展示風景 |
筑豊電鉄で木屋瀬駅へー。この日は、古い町並みを舞台に「第12回筑前木屋瀬宿場まつり」が開かれ、かつての宿場町の賑わいのよう。
旧長崎街道を歩行者天国にして木屋瀬宿場踊り(福岡県無形民俗文化財)や近郊ののぶ野面の盆踊り(北九州市無形文化財)、黒田二十四騎武者行列などが繰り広げられた。男女の踊り手は三度笠に腰提灯や手甲脚絆に妻折笠、仕草に歌舞伎など上方文化が混じり街道筋ならでは伝統を伝える。
古い民家は庭先や上がりがまちを来訪者に開放し、家に残る古い家具や什器、商家資料、屏風や書などを披露。名付けて「町並み資料館」。「蔵に残っていたものがこんな風に役立つとは思いもかけませんでした」と「館主」。軒先に菊の盆栽を飾り野点の茶のふるまう家、炊き出し型の伝統料理でもてなす女性陣。子供たちも行列したり踊ったり、公園で住民が古物市。
明治以降、さびれる一方だった木屋瀬は昭和30年、旧八幡市との合併を選んだ。それでも長く場末だったが、今では門司レトロ地区と並ぶ北九州の観光スポット。道の歴史を活かす道守活動が地域づくりに成長した。
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長崎街道(小倉−長崎間、約240km)は、鎖国の江戸時代に海外へ開かれた港・長崎への道。25カ所の宿場があり、福岡藩内の黒崎、木屋瀬、飯塚、内野、山家、原田は筑前六宿と呼ばれた。
参勤交代の大名、シーボルトら外国人、商人、文人墨客、西郷隆盛や坂本龍馬ら維新の志士らが足跡を残す。歴史を検証・再評価する試みが各地で行われ、象を歩かせたり、西洋菓子伝来の文化を「シュガーロード」と名付けたり、長崎街道ならではの多彩さだ。