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街道をゆく

【vol.1】 日田往還


江戸期 日田郡絵図(淡窓図書館所蔵)

幕府直轄の九州最重要拠点。
天領・日田へと集まる街道。

 かつて徳川幕府が九州の諸大名を監視した重要な拠点、天領・日田。現在の大分県日田市には九州6ヵ所の天領を監視する西国筋郡代が置かれ、九州中の政治や経済、文化の情報はすべてこの地に集められました。「日田往還」とは当時、福岡・久留米・中津・大分・阿蘇など、各方面から日田へと通じる街道の総称です。
数あるルートの中、今も街道の面影をもっとも色濃く残している地域は中津方面に通じる中津街道(豊前街道)沿線。特に関ヶ原の合戦の後に入部した小川光氏が築いた丸山城の城下町であり、後に天領の代官所陣屋町として栄えた豆田町には、高野長英などを育てた学聖・広瀬淡窓が開いた私塾「咸宜園(国指定史跡)」や豪商「草野家住宅(県指定有形文化財)」をはじめ、多くの文化財が点在。白壁が続く風情ある町並みの一部は平成12年度に電線の地中化や道路整備といった環境整備事業が完了し、歴史情緒と共存する新たな町づくりが進められています。




道標 「右は中津方面、左は筑前方面」。今も日田の各地に残る街道の行き先を記す道標

時代を超えても人々が歩み進む、
険しい山に拓かれた石畳の道。

 豆田町から伏木町までのおよそ10kmの道は、国から歴史的かつ文化的に価値ある道との認定されている「歴史国道」。その一部、市ノ瀬町の集落を抜けて伏木へと通じる1.26kmの山道こそが、県指定史跡の「石坂石畳道」です。

 豆田町の「咸宜園」をスタート地点にこの「石坂石畳道」までの街道の歴史と景観を歩きながら楽しむイベント「石坂石畳道ウォーキング大会」が大好評。「地元の人でもこんなに立派なものがあるのかと改めて感動します。今年は紅葉が見頃の11月下旬に開催する予定。どんどんご参加ください」と実行委員長・財津龍之典さん。イベントは今年で7回目。子どもからお年寄りまで、県内外から集まる400名近い参加者は誰もがこの日、街道を行き交った旅人たちに想いを重ね、一歩一歩の大切さを感じるのです。


石坂石畳道(県指定史跡)/中津方面からの人々が産物輸送のために通った道は、険しい峠を越えやすいようにと穏やかなカーブが続き、2mの道幅には中央に切石、両端に玉石が敷かれています。荷を運ぶ牛馬に配慮して、段差の位置も四足に合わせた造りです。

筏場眼鏡橋(県指定有形文化財)/日田と筑後地方とを結ぶ筑後街道沿い、内河野川が筑後川に流れる現在の高井町に残る、県下最古の石橋。長さ9m、幅2.5m、水面からの高さは6.4m。1806年(文化3年)、日田郡竹田村の石工が約400人の人夫を集めて築いたという。

豆田町/江戸期以降、独特の町人文化が育まれてきた豆田町。道路整備のおかげで電柱や溝が消えた通りはすっきりと見通しが良く、みやげ物屋や食事処、資料館、ギャラリーなど、個性ある店々にも気軽に立ち寄ることができるなど、歩く楽しみにあふれています。

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