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土木遺産

【vol.12】 熊本県南 三太郎峠 旧津奈木隧道と旧佐敷隧道

近代化遺産として再登場

旧津奈木隧道と旧佐敷隧道

 九州路の難所として知られる熊本県南の三太郎峠に、明治時代にできた旧国道の旧津奈木隧道と旧佐敷隧道が、国登録有形文化財となり、わが国の近代化遺産として再び登場してきた。

 江戸時代の薩摩街道から国道へと変わった明治時代、険しい3つの峠、南から津奈木太郎峠と佐敷太郎峠に隧道が掘られ、あと1つの赤松太郎峠は掘り割りとされた。その三太郎峠の旧国道は明治、大正、昭和と3代にわたって、九州の南北をつなぐ基幹道路の役割を担ってきた。



国道3号開通で60年の役目忘れられる

 九州にもモータライゼーションが始まる昭和40年、この三太郎峠の険しく曲がりくねった旧国道は、新たに国道3号として平たんな道路に造り替えられた。そして、旧国道も旧津奈木隧道、旧佐敷隧道とも町道と格下げされて、忘れ去られてしまった。

 この2つの旧隧道へ案内してくれた熊本県芦北町教育委員会・文化振興係の深川裕二さんは「子どものころ、この真っ暗な旧佐敷隧道は幽霊が出ると、肝試しの場所でした」と苦笑した。

坑口が馬蹄形の津奈木隧道
坑口が馬蹄形の津奈木隧道
側壁が垂直の佐敷隧道
側壁が垂直の佐敷隧道

 国道3号から旧国道へ登ると、道幅が狭く、曲がりくねり、カーブミラーがないところは怖いくらいだ。この町道は柑橘生産農家の人が時たま使うくらいで、ほとんど利用されていないようだ。離合は難しいと思ったが、1台も車とは出会わなかった。旧佐敷隧道の途中、参勤交代への道筋にもなった「薩摩街道・江戸へ、薩摩へ」の道標が立っている。

 旧佐敷隧道も旧津奈木隧道も、入り口のアーチの上にある隧道名を彫った額はコケに被われて読めなかった。正面ウイングの煉瓦積みもコケで見えにくい。隧道内部は真っ暗、遠くに出口のアーチ形がほのかに明るい。とても1人で歩く気にはなれない。

2つの隧道を案内する深川さん
2つの隧道を案内する深川さん
参勤交代の道標
参勤交代の道標


明治時代に自動車社会を見通す先見の明

 熊本大学大学院自然科学研究科の山尾敏孝教授によると、旧津奈木隧道は明治32年(1899)に工事開始、34年に開通。全長211.6m、幅員5m、中央高4.4m。隧道坑口の形状は馬蹄形。旧佐敷隧道は明治34年(1901)着工、36年5月末に竣工。全長433.5m、幅員5.5m、中央高4.4m。隧道坑口は旧津奈木隧道と違って、側壁が垂直。どちらもオランダ人技師による設計・施工であり、坑道内はアーチ状に煉瓦積み。ともに煉瓦の大きさは東京標準と比べると85%大で、22.5×11.5×5.0cmと小振り。徳島県から旧田浦町(現芦北町)に移り住んだ瓦職人が製造したとの記録が残っている。

 「昭和40年までの約60年間、当時予想すらしていなかった自動車社会にも何とか役立ったことを考えると、先見の明に驚かされる」と、山尾教授。隧道の幅員5mは車の離合を可能とした。陸の孤島といわれた三太郎峠の旧隧道が地域経済に果たした土木遺産の功績を評価して、山尾教授は国登録有形文化財へ働きかけたのである。

 平成18年8月には、NPO法人熊本自然を愛する会(阿南誠志会長)が、薩摩街道を歩く会に小中学生28人とスタッフ13人の参加を募って、旧佐敷隧道と旧津奈木隧道もコースに入れて歩いた。

 先人たちが残した隧道を通った阿南さんは「明治時代にあんなトンネルが掘られたとは知らなかった。来年も子どもたちを連れて行って見せたい」と話し、三太郎峠を土木遺産として見直す動きが出始めた。

出口がほのかに明るい
出口がほのかに明るい
小振りな煉瓦積み
小振りな煉瓦積み
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