トップお問合せサイトマップ

トップ > 土木遺産 >西海橋と新西海橋

土木遺産

【vol.11】 日本長大橋の元祖 西海橋と新西海橋 長崎県佐世保市―西海市

うず潮をまたぐ、新旧の橋


西海橋と新西海橋

 長崎県佐世保市と西海市(旧・西彼町)の間は、急流が渦巻く伊ノ浦瀬戸。毎年3月から4月は最大級のうず潮が発生し、満開の桜とともに「観潮会」に多くの観光客が訪れる。「西海橋」はこの伊ノ浦瀬戸をまたぎ、佐世保市と西海市を結ぶ。今年3月5日には、並行する形で「新西海橋」が開通した。



日本初の「夢の架け橋」


並行する西新橋(手前)と新西新橋
並行する西新橋(手前)と新西新橋

 西海橋の供用が始まるまで、西海市が位置する西彼杵半島は、伊ノ浦瀬戸のうず潮により「陸の孤島」と言われた。1936年、地域住民は伊ノ浦架橋を熱望し、当時大串村(西彼町)村長で県議でもあった大串盛多は、11月県会で架橋を迫った。1940年に建設予算が議決されるも、翌年の太平洋戦争で計画は中断。架橋は戦後になってから。



アーチ部分が下から支える西海橋
アーチ部分が下から支える西海橋

 大串が架橋を迫って19年後の1955年12月1日、西海橋の供用開始。橋の形式は、日本初の上路式ブレストアーチ橋。鋼のアーチ部分が橋を下から支える。急な潮の流れによりアーチ形式が取られ、架設方法にまで影響。ケーブルクレーンを設置してアーチを築く、ケーブルエレクション斜め吊り工法が用いられた。アーチ支間216m。当時のアーチ橋としては東洋一、世界第3位。有料橋としても日本第1号(1970年無料化)。「夢の架け橋」と呼ばれた。

 西海橋の架設にあたり、数々の新工法が開発された。橋の軽量化もそのひとつ。西海橋の骨組みには穴があけられている。橋の管理に携わる長崎県県北振興局の高治正信課長は「強度の面からみて、風速50m以上でも十分耐えられます」と語る。

 その後、西海橋の技術は日本各地へと広がる。1962年の若戸大橋、1973年には関門大橋が続々と完成。西海橋は長大橋建設のモデルであり、日本長大橋の元祖。長崎県民にとって戦後復興の象徴といえる。佐世保市の統計によると、橋を一目見ようと観光客が7%増加。その果たしてきた役割は大きい。



新西海橋は西海橋の進化形

空の色と同じ「スカイミスト」で化粧されている
空の色と同じ「スカイミスト」で化粧されている

 新西海橋は西海橋の北西250mに位置。長崎市と佐世保市を1時間で結ぶことを目的とした西彼杵道路の一部として整備された。形式は鋼中路ブレースドリブアーチ橋。アーチ部分が左右から橋を支え、真ん中を橋が通る。アーチ支間230m。



内側から締められているボルト
内側から締められているボルト

 新西海橋は、西海橋の進化形とも言え、安全や観光、歩行者への配慮などが随所に見られる。架設方法は西海橋と同じ。「新西海橋を造るときから方法は満場一致。昔から、すごい架設技術をもっていたということです」と高治課長と同局の小泉修一技師。さらに、景観を損なわないように、橋の色は空の色と同じ「スカイミスト」を採用。クレーンで一度つり、色を確認した。景観保護はアーチ部分のボルト締めにまで及ぶ。ボルト締めはアーチ管の内側から手作業で行われた。



高治正信課長(右)と小泉修一技師(左)
高治正信課長(右)と小泉修一技師(左)

 西海橋は歩道部分が狭い。そのため、新西海橋は歩行者の安全を考え、橋の下部に歩道橋を併設した。橋の上部を自動車専用道路とし、橋の下が添架歩道橋。長さ300m。両市の西海橋公園をつなぐ、いわば海上歩道橋だ。



日本風景街道のビュースポット

橋の下に設けられた添架歩道橋
橋の下に設けられた添架歩道橋

  長崎市から平戸市までの道は、日本風景街道のモデルルート「ながさき サンセット・オーシャンロード」として、夕日や教会、橋など多彩な海岸風景が楽しめる。豪快なうず潮を真上から見ることができる新西海橋は、開通と同時に一躍、観光スポットとなった。交通と観光の面からも、新たな長大橋のモデルといえる。(藤田秀道)



Copyright (c) 2005 道守九州会議 All Rights Reserved.