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土木遺産

【vol.7】 郡築三番町樋門

「熊本県の特徴ある土木遺産といえば、やっぱり樋門でしょう」。
樋門とは、用水流入や内水排除のために堤防を横切って造られた送・排水路のこと。河川や海の水位が高くなった場合に招扉を開閉し、水の逆流を防ぐ役割を持っている。
九州の土木遺産に詳しい熊本大学工学部の山尾敏孝教授に教えていただいて、明治期の樋門が現存する八代市の西部に広がる干拓地・郡築エリアを訪れた。



三番町樋門より約1キロ離れた位置にある二番町樋門。竣工は昭和12年。三番町の樋門と並んで八代平野を代表する、歴史ある構造物。


郡築三番町樋門。西側は招扉の取り替えの際に見た目も現代的になったが、東側はこのように築造当初の姿をほぼ保っている。

人知れず存在する土木遺産。
 右手には収穫の季節を迎えた田畑がのびやかに広がる熊本県八代市。左手の海岸沿いには工場群。この広い干拓地のどこに樋門があるのだろう。不安になりながら車で郡築三番町とおぼしきエリアの湾岸道路5号線を走り、ハッと気づいた。ちょうど樋門の上を通過していたのだ。
 均等に弧を描く十連のアーチが美しい。田畑の間の道に降り、ようやく目にした郡築三番町樋門は、農業用水路の上に静かに存在していた。建設は明治33年(1900年)。構造は石造りアーチ式十連樋門。幅30・5m、高さ5・5m。現存する明治期の干拓樋門としては最大級の規模だという。西洋建築の面影も見て取れる造りにはアーチ部分に赤レンガが、これを囲むように砂岩の切石が積み上げられている。モダンな建造物の登場に当時の人々もさぞかし興奮しただろう。
 眺めていると、樋門の上の道路を先ほどの我々のように車が次々と通過していく。自分の足元にこのような土木遺産があると知って通る人は決して多くないだろう。少し得をした気分。ここへ来て本当に良かった。
土木構造物の歴史は人の歴史。
 郡築三番町樋門は築造から百年以上、一度も欠壊していない。木製だった招扉はスチール製のものに取り替えられ、その役割も昭和に入って近くに建設された大島樋門のサポートにおさまったが、今でも立派に現役で活躍。当時の設計と技術力の確かさを証明している。
 「よく見ると時代を経て少しずつ修復を重ねてきたことが分かりますよ」と山尾教授。石の色や種類、そして積み方。わずかな違いから日本の土木技術の推移も見えてくる。「だから簡単に壊してはいけない。かつての技術やそこに込められた考えを知っていて壊すか、知らずに壊すかでは大きな違いがあります」。


 

年に1回、山尾教授は『土木の日実行委員会』が実施する『土木遺産ツアー』に協力。案内役を担当し、子どもからお年よりまで幅広い参加者に地元に残る様々な土木構造物の価値を伝えている。「構造物の歴史とは、人間そのものの歴史。背景に息づくドラマを踏まえながら町や地域全体の魅力としてとらえることが大事です」。干拓地を見守り続ける樋門を前にして、教授の言葉を改めて胸に刻んだ。

【プロフィール】

山尾敏孝教授
熊本大学工学部 環境システム工学科
土木構造物の近代化に貢献した土木遺産の調査、評価を行い、保存や活用に関す

る研究活動にも勤しむ。11月12日(土)には教授も参加する『土木遺産ツアー』があり、参加者と熊本県内の石橋をめぐる予定。

 

 

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