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土木遺産

【vol.6】 耶馬溪橋(オランダ橋)

先人の技と心が息づく、石橋と洞門の本耶馬渓。
荒々しい岩肌が迫る本耶馬渓には山国川沿いにふたつの土木遺産がある。8連アーチの石橋・耶馬溪橋と、全国的にも名高い青の洞門。渓谷の郷の誇りでもある土木遺産を訪ねて水面を走り抜ける山風も涼やかな夏、川沿いの道を走る。



佇む者を圧倒する雄壮な渓谷の郷、大分県耶馬・日田・英彦山国定公園。その表玄関である中津市本耶馬渓町の景勝地・競秀峰の麓を山国川沿いに走ると、やがて優美な石橋が姿を現す。
 橋の名は耶馬溪橋。山国川周辺地区の観光・生活道路整備の一環として大正9年(1920年)から12年(1923年)にかけて、村人らの寄付により架橋された。形式はわが国唯一の8連石造りアーチ橋。当時、長崎県で多く見られた平行布積み方式の工法を採用したこともあり、オランダ橋とも呼ばれている。美しい弧を描く8連アーチ橋の全長は116m、幅員は3・5m。アーチ数と橋長の規模はともに日本一。規則正しく並ぶ輪石や壁石にかつての精緻な石工技術がうかがえる。昭和56年(1979年)には県指定有形文化財に指定された。
 架橋以来、数多の水害にも耐え忍んできた。昭和19年の大洪水ではコンクリートによる修復も行われたが、平成8年(1996年)に新たな亀裂を確認。修復方法を決める際には石橋の権威者や県文化課らが協議をし、大正時代の写真を参考に昔ながらの姿が残された。山郷が全国に誇る名橋のひとつといえよう。
青の洞門




 耶馬溪橋より350mほど南下すると青の洞門に差し掛かる。菊池寛の小説『恩讐の彼方に』の舞台、本耶馬渓きっての名所である。


 洞門の完成以前、断崖ひしめく競秀峰は人馬が命を落とす鎖戸の難所だった。惨事を目の当たりにした禅海和尚は村人らの安全のために洞門開通を決意。托鉢をしながら資金を集め、わずかな人夫を雇い、自らもノミと槌を手に、実に30年の歳月を費やして342mの洞門を完成させた―。一般的に知られる洞門工事の概要である。洞門の完成時期には諸説があるが、本耶馬渓町史によると工事は大きく2期に分けて進行。初期工事が寛延3年(1750年)、2期工事が明和元年(1764年)にそれぞれ竣工を迎えたとされる。
 山国川の障害は洞門の完成により解消された。村人らの通行はもちろん、山国谷の農山資源の開拓、現代にも続く九州横断路の開発と、その影響は計り知れない。当時の洞門は明治時代、現在に近い形状で大幅に改修された。当時の軌跡は旧道の一部に残るのみ。しかし旧道に現存する小さなノミの跡は信念を持ち、道を拓くことの深い意義を我々に教えてくれる。

 

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