トップお問合せサイトマップ

トップ > 土木遺産 > 「名護屋城」跡は石組み博物館 (鎮西町)

土木遺産

【vol.4】 「名護屋城」跡は石組み博物館 技術と美意識と…見学者が急増中

久保平


「太閤が睨みし海の霞かな」の句碑。関西俳壇の重鎮であった青木月斗の句で、昭和15年に月斗派の同人らにより建立された。

 「荒城」のイメージ。名護屋城(佐賀県・鎮西町)は黒澤明の映画「乱」の舞台に使われた。裏切り、無残な敗北、精神を乱した武将が墨絵のような石垣だけが残る城址をさまよう。今も、幾つかのシーンが鮮明に思い出される。
名護屋城跡は、勿論、秀吉の朝鮮出兵の軍事拠点として築城され、近世初頭の特徴をよく残すものとして知られている。規模も当時としては大阪城に比肩する。最盛期には人口10万人が城下に集まった。佐賀県立名護屋城博物館はこの城の発掘整備、秀吉の号令で集められた諸侯の陣屋跡発掘などで興味深い調査結果を次々と発表している。来館者も年々、増えている。
訪れる人の中に、最近、建築・土木関係者とくに技術者が目立つという。関心は城壁などの石組みだ。名護屋城築城にあたって、西国大名が動員された。天正19年秋からわずか5ヶ月で完成、その急ぎ働きのため石工がかき集められ、一斉作業を命じられた。そのため、築城期間が特定され、かつ石組み博物館と呼ばれるほど、多様な技術のその粋が駆使されている城となった。
420年近くたって、平成の技術者が訪れるのは、野づら積み、割り石積み、落とし積みなど、石工の技術が今日、ほとんど伝えられず、この城壁が実物教材になること。何より環境、景観、自然を意識した工事を求められるようになったからだ。コンクリートで固めた護岸工事が批判される一事を見ても、石工たちの蘇りが納得できようというものだ。
「天正の石工たちの卓抜した意匠、デザイン力も学んで欲しい」と同博物館学芸課長の高瀬哲郎さんは言う。例えば、天主台の石垣。自由でいて、意図された石たちの組み合わせ、そのデザイン性には、うならせられる。そんな美意識は城址のいたるところのぞく。一つの巨石を割り、その断面を左右対称に置いたり、中心石の周辺を花びらのようにデザインして、石を組み合わせる、などなど見る者をあきさせない。「安土桃山の美意識がちりばめられた軍事拠点。そんな芸当が出来るのは、ただ一人。築城の名手、加藤清正だけです」。微笑する高瀬さんの顔は、確信に満ちていた。

名護屋城跡には見学者が急増している

天守台の石垣。すべて矢を入れて割った石のみで積まれており、城内でも天守台のほか限られた場所でしかみられない

本丸東面の石垣。天守台と異なり、割った石と自然石の両方を用いた野面積みで、城内で多くみられる積み方である

名護屋城博物館 高瀬哲郎学芸課長

Copyright (c) 2005 道守九州会議 All Rights Reserved.