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土木遺産

【vol.3】 吉野ヶ里遺跡を貫く古代官道―大宰府、そして都へのハイウエー

東 久保平

 邪馬台国時代の遺跡として知られる佐賀県の吉野ヶ里を訪ねた。全国的な注目を集めた弥生時代の環濠遺跡であり、魏志倭人伝でルポされている国々の姿そのままに発掘され、規模、内容ともに群を抜く大規模遺跡。広大な遺跡は国土交通省と佐賀県によって歴史公園として着々と整備が進んでいる。



古代官道の切り通しと「ぜひ保存を」と訴える七田氏(円内)

 訪ねたのは、むせ返るような暑い日だった。「こんにちは」。10数年前、発掘作業でごった返していた時と同じようなプレハブ小屋から七田忠昭さんの笑顔が現れた。口ひげに白いものが混じっているけれど、人懐っこい表情は変わらない。親子二代にわたって吉野ヶ里の発掘、調査、保存に情熱をかけてきた。NHK番組プロジェクトXでも取り上げられた誠実の人である。
吉野ヶ里遺跡には、知られざる土木遺産がある。遺跡の北部、人々を驚かせた巨大な墳丘墓の北側に、古代官道の切り通し、道路を平坦かつ直線的に通すため、丘陵を切り開いた遺構が現存するのだ。七田さんは勿論、弥生の研究家ではあるが、この奈良から平安時代にかけての官道の研究者で論文もいくつかある。
「高速道(長崎道)と平行して、この官道は走っているのです。肥前国府(現在の佐賀大和IC付近)から東へ、鳥栖から北上して大宰府へ、さらに奈良、京都へと」。幅員9・17m、道路両側に側溝を設け、大規模な切り通しのたけの掘削など計画的に施工された大規模な土木工事が今でも残されている。興味深いのは、単に古代道路が残っているというだけでなく、地域計画、土地利用計画の主役としてこの道路が整備されているということだ。

 「奈良時代の条理制の施行に合わせて、官道は作られ、地割り境界の役割も担っている」。つまり国策としての公共事業であり、今で言う「道の駅」には公共の建物群が数多く発掘されている。
今、高速道路建設が無駄遣いのように論じられる。1000年以上も昔、国をまとめ、地域計画をたて、大規模な土木工事に汗した我々の先人たちは何を思うだろう。
別れ際に、七田さんが少し声を強めて言った。「このように官道がそのまま残っている遺構は貴重なのです。駅、その周辺の建物群、切り通し、水はけを意識した側溝。史跡に値する貴重な遺産なのですがー」。
聞けば、発掘、調査のための人も、金もないのだ、という。

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